〜風来坊的読書録〜第百六十五夜No2433青野李吉転換期の文学

毎晩寝る前に読んでいたのだが、あまりにつまらないのでさすがにやめる。

青野という人はプロレタリア文学の理論家であり批評家であったから、文学に対する視点も左翼的といったものだ。

それが今読むと何の意味もないようなものに見えるのだが、いわゆる一億総中流社会が崩れつつある現代では、階級闘争がどうのこうのとまくしたてる青野の論文は、全く顧みる価値のないものでもないのかもしれない、とふと思った。

それでも、階級的成熟の深化などという文言を見ると、本気でそんなこと信じていたのだろうかと不思議に思う。

広津和郎がさまよへる琉球人を全文削除した事件のあった時、広津は琉球の無産者だけでなく日本中の無産者に目を注ぐのが当然だという言いがかりとしか思えない雑文や、

机龍之介は何をして食べているかわからないと本気で不思議がり、それを以て大菩薩峠の価値を判断しようとするかのような失笑するしかない雑感もあったりして、

玉石混交石九分といったところだが、

彼が自分自身を語る部分には心打たれるものがあった。

通常のこの人の文章に徹底して欠落している潤いと詩情があった。

私は記憶力も定まらぬ中に、両親を失ってしまった。

さうして物心ついた私の肉眼に映ったものは、衰亡した封建的中産階級の有様と、大勢の兄弟の先途を思ひ悩んでゐる姿と、

唯一つ温かき寝床であった乳母の家の極貧とであった。

乳母は間もなく業病で、自らくびれて死んでしまい、愛する一人の妹は、小学を卒えると海の向ふへ旅立ってしまった。

小青年時の私は、何一つ明るいものを見ることができなかった。

中学を卒業すると、私は田舎教師として身を立て行かうとして、多少の希望を抱いて、越後の片田舎に教師となった。

そこに観たものは何であったか。

村の人たちの貧乏と、その子供の運命的におかれた不幸とであった。

私は、酒に親しみ、極道に入った。

そして益深く私を捉へてきた自然主義文学は、私の胸に虚無的の気持さへ呼び起した。

私は二度も死を決した。

そのたびに友達に支えられた。

義兄は、せめてその私の心持を転換させるために、ワセダに入れてくれた。

私はやはり文学を選んだ。

しかし文学を学ぶのではなかった。酒と極道との止む時はなかった。

しかし酒や極道を楽しむのではなかった。

虚無的な気持はつのるばかりであった。

そのまま学校を出て、一二の新聞社につとめた。

そこでも亦何を見たか。こんどはこの小さな社会の呼吸のつまるようなからくりではなかったか。

初歩的なことだが、この文章の語尾は全てたで終わっている。

しみじみと心の裡を語る文章を書きたい時、この書き方は何の抵抗もなく、読者の胸に染み渡るものなのだ。

青野李吉は若き日に正宗白鳥の感化を受けたという。

だがその白鳥から自らの批評文に喧嘩を売られたことへの答えとして、青野は弁駁文(正宗氏の批評に答へ所懐を述ぶ)を書き、その中で自らの壮絶な半生を語るのだ。

この文章は青野李吉のものの中で一番目か二番目くらいにいいものだと思う。

(百万人の、そしてただ一人のための文学、タイトルはいくらか違うかもしれないが、この文章もいい。一読の価値はある。)

過酷な環境に生まれ育ち、左翼思想に染まりその理論家になった。

筋道の立っている経路に思えるが、青野という人は後年転向し、戦後芸術院会員にもなっている人なのである。

生い立ちからくる絶望はどれほどのものだったのだろうか。

以前池島信平の雑文を読んでいたら、

プロレタリア批評家として出発した人が芸術院会員として死んだ

と皮肉のような素朴な驚きのような語調で青野を追懐した一文を見つけた。

私もそれが不思議なのである。

主義とかイデオロギーとかいうものは、若気の至り以上の何なのか、と私は常に思うのだ。

(201768)