質問と宣言

ちょくちょく日記に書いているように、私は他の人と感覚が合わないことが多いので、ついついいろいろと確認をしながら仕事を進める癖がありました。しかしながら、これがまた評判が悪く、世の中にこれほどものを考えるのが面倒な人が多いのかと再認識することになりました。彼らはものを考えずに感覚で行動するため、言葉で確認されて言葉で判断結果を伝えることに大きな負荷を感じるのです。意地の悪い見方をすれば、自分で判断した結果が失敗するのを嫌がるため判断を求められると言質を取られるように感じるのだと言うこともできます。

そんななかで私が経験から学んだのは、判断の結果を伝えるだけにする、と言うことです。「こうやりますか」ではなく、「こうやります」と単純に伝え、文句が言いたければその機会を与える、と言うやり方です。自分自身がその状況に置かれることを考えても、判断を求められれば判断に必要な情報をきちんと聞く必要があるのに対して、結果の報告の場合はせいぜい見落としがありそうなポイントを上げて「ここは大丈夫?」と確認するくらいで済むので非常に楽です。当人にとっても、自分で判断した責任感があると慎重さが変わってきたり、積極性が増したりして好結果につながります。それでもさらにそれを嫌がる人がやっぱりいます。

「いちいち自分がこれをやった、あれをやった、と恩着せがましい」とか、どうせそうやると決めた後なんだから不言実行でやればいいのに、と言った批判が代表的でしょうか。世の中には勝手に進んでしまうと困ることだってあるし、自分がやろうかと思っていたことを気を利かせた誰ががやってくれていて、終わったことをもう一度やってしまうことだってあります。仕事を分担し、フォローし合う同僚たちがいるのであれば、そのメンバーで重複せずに仕事を進めるためにはお互いの状況をきちんと把握する必要があり、互いが何をしているのか教え合うのは大切で、それを拒否しようと言う感覚には賛同しかねます。

出来高を競い合うとか、うまく他人に押し付けてよい思いをしようとか、そんなことを考えながら対応すると、報告や確認はうっとうしいものかもしれません。しかし、全体をよりよく動かしていくためには、やはり基本的なコミュニケーションをおろそかにしてはなりません。

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