経世済民

日本では、財布が道に落ちていると、民衆はこれを交番に届ける。

なぜ、こういった行動の様式であるのか?

それは、そういった”洗脳を受けているからである”。

この話には、もう少し続きがある。

日本が、現在の風土を築いたのは、およそ1万3000年前のウルム氷期の終わりに遡る。

氷河が溶け、海水が増え、海水面が上昇し、陸続きだったところは海になった。

これは、世界中で起こった。

70メートルから、一説では130メートルほども海水の上昇がみられたのだ。

海には海流ができる。海流は気候を変える(雲の発達と形成の原因が海である。よって雲が風で運ばれて雨が降る地域が生まれる)。

気候の変化は、海流だけによるものではなく、変化した地形にも影響される。

ともかく、日本列島が大陸から切り離されたこのタイミングが、現在の日本の風土の始まりである。

また、ウルム氷期中にも日本における人間の生活は認められており(土器の出土がある)、土器の破片に焦げ付いた穀類などから、当時の生活が”集落”を形成していたことも仮説として提示される。

日本には、天壌無窮の神勅がある。

これは、日本を支配していいのは天皇だけであるという内容だ。

よって、日本は、長らく、『戦(いくさ)に於いて民の統治権のみを争い、皇帝などに代表される絶対的権力者の地位を争奪する争いは起こらなかった』。天皇は創造主に並ぶ概念を持ち合わせた実体であるので、上位概念ではなく上位の実体なのである。これに認めてもらうことは出来るが、逆らうことは出来ない。少なくとも、明治維新までは。

明治維新は、フランス革命ロシア革命にみられる暴力革命と全く同質であり、日本の場合は天皇江戸城という要塞に幽閉し、これを王として崇めさせ(祭り上げ)、帝国を築き上げた。明治天皇すり替えの陰謀説があるが、そんなことは検証の仕様がなく、どのようなストーリーを書いて認めさせるかだけであるので、その内容は趨勢に左右される。これは歴史の常である。

以上の様に、日本では殲滅戦が行われることが無かった。民衆は高みの見物であり、地域単位のピアグループで独自の経世済民を発展させ、数万年に渡りこれを行ってきた経緯がある。その礎には、神道がある。ウッドストックを待たずとも、グループで子を作り、グループで子を育て、グループで財を共有し、誕生と死亡のサイクルを完結させた。子どもは大事にされた。1500年ほど前に、仏教と融合し、多少の強欲さを求める(認める)ようになった。これら古い神仏習合も、明治維新政府が木っ端みじんに破壊する事となり、その後、国家神道が編み出される。

長きにわたって、政(まつりごと)に頼らず自発的に行われてきた経世済民は、明治維新という形式的には内圧、実質的には外圧に頼る暴力革命テロで幕を閉じた。

ただし。

道端に落ちている財布は、これを届けさせた。

社会実験の継続と、統治に便利だからである。

資本の概念が本格的に導入された明治以降の、監視装置(監視機構)の一である。

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